三島由紀夫の小説について
三島由紀夫は昭和初期の代表的な小説家の一人です。帝国大学法学部出身の父と旧前田藩の儒者(漢学者)の娘との間に生まれました。幼少期は常陸宍戸藩藩主であった松平頼徳の孫として生まれた祖母のもとで過ごしました。文学者としての素養や長じてからの三島由紀夫の小説はこの祖母の影響であったともいわれています。その祖母の影響で小学生のときから学習院で教育を受けています。三島由紀夫の小説は多数ありますが、その多くは戦後の騒乱期にかかれたものです。三島由紀夫が本格的に文壇にデビューを果たしたのは1946年とされています。この時期に三島由紀夫の小説でも有名な「中世」や「煙草」を川端康成に渡しています。川端康成は文学雑誌に「煙草」の掲載を推薦しました。これが三島由紀夫の文壇への第1ステップとなったことは確かなようです。wikipediaで三島由紀夫を調べてみると、その作品集の多さと三島由紀夫の小説の背景にある戦後の混乱時期での三島由紀夫の生き方を知ることが出来ます。
小説家三島由紀夫の小説
三島由紀夫の小説「岬にての物語」が雑誌「群像」に掲載されてから、三島由紀夫は精力的に筆を進め、小説も数が増加していきます。1947年11月に東京大学法学部を卒業して大蔵省に入省しました。しかし仕事と執筆活動の両立が困難となり、駅のホームから転落するという事故がきっかけで大蔵省を辞めます。その後も三島由紀夫は小説家として活動を続け「春の雪」の連載も開始されます。大きな転機が訪れたのは「論争ジャーナル」副編集長の萬代潔に出会ってからでした。その後、早稲田大学の民族は派学生組織「日本学生同盟」のメンバーを中心とした武装組織「楯の会」を結成、1967年と1968年に自衛隊に体験入隊しました。1970年には楯の会のメンバー四人とともに益田東部方面総監を人質にして自衛隊市ヶ谷駐屯地を占拠します。しかしその後の三島由紀夫の演説は自衛隊員のざわめきやつめかけた報道陣のヘリコプターの音でほとんど聞こえず、わずか七分で演説をやめたといいます。
三島由紀夫の小説「鹿鳴館」
三島由紀夫の小説は1950年代となって高い評価を受け、次々に映画化されていきます。最初の映画は「純白の夜」で三島由紀夫自らが出演しています。その後「夏子の冒険」、「にっぽん製」、「潮騒」、「永すぎた春」、「美徳のよろめき」と続き、代表作「金閣寺」(炎上)は市川雷蔵主演によって上映されました。同時代に執筆されて上演された戯曲に「鹿鳴館」があります。さらに「不道徳教育講座」、「灯台」、「お嬢さん」では三島由紀夫が主題歌の作詞も行っています。「黒蜥蜴」、「剣」、「潮騒」、「獣の戯れ」、「肉体の学校」、「憂国」、「複雑な彼」、「愛の渇き」と続いていますが、その中でも注目すべき作品は三島由紀夫が監督・脚本・主演を務めた「憂国」です。2・26事件で親友を失った主人公が自らも決意し、夫人とともにという話です。セリフのない28分の短編映画で、最初から最後までバックミュージック(ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」)が流れている異色の作品です。
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最終更新日 2009/01/05/ 23:37:22